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2010年03月10日

     「心こそ心迷わす心なれ、心に心、心ゆるすな」

人には誰にでも心はあります、然もその心は清らかで美しいものです、でも時には濁って汚い心になります、では心とは一体どんなものでしょうか。
色も形もなく手に取る事は出来ません、不思議なものです。
茶の間でテレビを見ているとき、玄関に人が来れば誰だろうと心は玄関に移ります、家内が応対して自分に直接関係がない事を察すると再びテレビに目が移ります、然し玄関でいつまでも話し込んでいると又自分に関係があるのかと心は動きます、時々刻々心はしばらくも休む事はありません。
例えばお盆に生卵を乗せ動かないようにと両手でしっかり盆を持っていてもなかなか真ん中に止まってくれません、ころころ動くので「心」と言います。
私達は生きている以上心は常に体の中でじっとしておらず体から飛び出して行きます、あとは空になるので「からだ」と言うそうです。
仏様の言葉に六根があります、目、耳、鼻、舌、身、意、です、心は常にこの六根の窓から、家業。名誉。衣服。道具。金銭。愛欲にとらわれ右往左往します、この時本音と建前に分れていつの間にか清く美しい心は曇ってしまいます。

     「吾が心 鏡に写るものならば いかに姿のみにくかるらん」

                             -----妙弓寺 石本直俊氏-----

 

 


その時々の自分の置かれている状況や心掛けによって、清らかで美しくもなり、濁って汚くもなる私達の「心」

たとえ「心」をコントロールすることはできなくても、自分の中には時として濁って汚い心が顔を出すことを知っていることで、知らず知らずのうちに他人を傷つけてしまうようなこともなくせると思いました

                                                オーチマン

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